プラセンタ療法はヒポクラテスの時代からあった
最近にわかに注目されるようになったプラセンタ療法ですが、決して新しい治療法ではありません。その歴史は、紀元前・古代ギリシャ時代にさかのぼります。プラセンタの薬効はその頃から知られており、「医学の父」と呼ばれるヒポクラテスも治療に使っていたという記録が残されています。
漢方薬の長い歴史を持つ中国でも、胎盤の薬効は古くから注目されていました。紀元前3世紀には、傷の治療薬として使われていたようです。また、あの、死ぬまで不老長寿を求めたという秦の始皇帝は、胎盤を不老長寿の薬のひとつとして使ったそうです。
胎盤が漢方薬として初めて書物に登場するのは、紀元後10世紀の頃です。唐の時代に編纂された『本草拾遺』に、「人胞」「胞衣」という名前で薬として紹介されています。こののち、中国の代表的な薬物書『本草項目』(1596年)には、「紫河車」という名前で胎盤の薬効が記されています。
それによると、紫河車は「気血を養い、精を補い、解毒作用があり、心を安んずる」生薬だということですから、胎盤に滋養強壮や精神安定効果があることがうかがえます。
紫河車はその後、さまざまな漢方薬に配合され、現在も使われています。また韓国や日本にも伝わり、日本では加賀の国(石川県)の秘薬として知られる「混元丹」に、紫河車が使われています。この混元丹は、虚弱体質を改善し、慢性の結核によく効いたそうです。
薬としての効用だけでなく、美容や若返り効果も昔から知られていました。真偽はともかく、エジプトの女王クレオパトラがプラセンタで美貌と若返りを保っていたとか、フランスの悲劇の王妃マリー・アントワネットが若返りの妙薬として使っていたという話が残っています。
いずれにしても洋の東西を問わず、また時代や国境を越えて、胎盤が人々の健康や美容のために使われてきたのは間違いないようです。
吉井 友季子 著「女医が書いた美しさと健康の秘訣」より抜粋
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